食のドクター助食師 誕生ストーリー DAY21 これまで1番の挑戦


食のドクター助食師 がおくるこれまでで一番の挑戦とは

助食師がこの世に誕生する前の、今から30年前の話ですが、
一人旅でネパールのカトマンズ、さらにヒマラヤのふもとポカラに滞在して○を覚悟して
再生したこと。。

今となっては、ちょっと大げさな話のようですが、20代の頃ですから
今から30年前の海外は、直行便も少なくて何ヶ国も乗り継ぎ、ホテルに泊まってやっとネパールについた。。今のようにスマホもない時代によくできたなあぁと冷や汗が出る気がします。


『可愛い子には旅をさせろ』

私の両親はそう言ったタイプではなかったので、セルフ虎の子状態でいつも挑戦していた気がしますが最近パスポートを更新した時に、やっぱりあの旅は忘れられない自分にとっての挑戦だったと思い出しました。

バンコクで一泊して飛行機を乗り継ぎ、
カトマンズに入る時は、嘘でしょ??っというくらいの小型のおもちゃみたいな飛行機?プロペラ機のようなやたら自分が大きく感じる機内に小さな窓から覗く景色。。落ちるな。。と思ったら

本当に山の尾根をぬってカトマンズは標高3000mには及ばない山だったと思いますが、
木々が生い茂る中の着陸だったと覚えている。
着陸じゃなくて墜落するんだと思った。。

現地のガイドさんと会える保証もないのによく旅立ったと思う。。

そこからは想像通り、決して親には言えない旅行だった。
泊まるゲストハウスは、違和感しかなくて強烈なカルチャーショックだったし、

ヒマラヤに向かうまでにバスで12時間ほどの麓の村のポカラへ
もちろん高速バスじゃなくて、山間の凸凹山道、崖、のみを走る道。。
行くことも、引き返すこともできない場所に身を置く辛さ。。わかってもらえるでしょうか。。

途中の休憩所で、車酔いにトイレに駆け込んで、車内に戻ると
アレ。。デジカメがない。。。。パスポートは離さずにいたけれど。。まさか。。

同じ車内にとった人がいる中で、残りのバスの時間がどんなに辛いか想像にお任せします。

そして、幾つもの山と崖を超えてようやくポカラに着くと、なんと高山病にかかってしまったんです。
本当に死を覚悟しました。
私は死ぬんだろうな。。

同じゲストハウスには当時バックパッカーが沢山いて、当時マリファナは日本のたばこと同じ扱いだったのでまたもやテンションが高すぎる人たちとのカルチャーショックを受ける。

寝ているゲストハウスには狼が近づいているし、薬もない。満足な飲み水もない中で、よくやった私。。と本当に褒めてあげたい。。

それでも、遠く彼方の澄み切った青空の雲の切れ間から見えたヒマラヤの山頂は
本当に壮大で息を呑む迫力だった。。

それでも、スタートがそんなだったから
その後のインドに渡ってもなんとかやり過ごせた気がする。。

ガンジス川から死体が流れてきて、川岸で火葬していて、その一寸先で沐浴している。。

本当生きていくことって挑戦なんだ。。と体で感じた旅だったことを思い出しました。

今となっては、
親の私から

『可愛い子には旅をさせろ』とばかりに、娘の留学や大学での研究には何事も経験とばかりに否定はしないけれど本心はやっぱり心配。。

これから10年、20年先は今までよりももっともっと多くの挑戦が待ち構えている気がします。

少しだけ先手打てたことが、若い頃の旅は買ってでもしろ。。という教訓になっています。

最後に健康も先手先手が大切です。。


DAY22に続く